テーマ:二宮金次郎

二宮金次郎の銅像

那須塩原市立金沢小学校の二宮金次郎像・・・なんと銅像です!!戦時供出で、ほとんどの二宮金次郎の銅像は残っていません。 しかしながら、創立142年の伝統校も来年4月には廃校となります。「忠孝の学び舎」と呼ぶのも、これまたいいねェ。
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那須小校章

初詣に那須小学校の脇を通ったので、校章をマジマジと観た。・・・・・那須連山、真ん中は茶臼岳か、リンドウに湯けむりと、奥那須てんこ盛りのデザインですねェ。 那須小学校も統合されると聞いていますが、この凛々しい顔立ちの金次郎はどうなるのでしょうか?
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お目に止まれば

先日、去年ブログに掲載したこの金次郎NO.32(旧武茂小学舎、現馬頭小学校)をテレビ東京「所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!」にワイプで挿入すると云う許諾依頼があって、本日放送と連絡を頂きましたが・・・・・残念ながらチョウピンの那須パラダイスにはテレビがないんです。
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須川小の二宮金次郎

明治6年9月に開校して平成20年3月に閉校したみなかみ市立須川小学校。今は「認定こども園」となっている。自分の小学校が無くなると云う事は寂しい事でしょうねェ。
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薬利小学校の二宮金次郎

那珂川町薬利(くずり)小学校の二宮金次郎。これは珍しい!陶製の金次郎ダ!! 薬利小学校は明治7年創立の伝統校ですが、残念ながら来年には統合されて閉校となるようです。現在の敷地は昭和37年に自衛隊が、丘陵を開墾して移転したものですが、自衛隊の奮闘に感謝して、この丘に、当時の自衛隊の隊長さんの名前を付けたとか。
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白河市第二小学校の二宮金次郎

明治19年7月創立の白河市第二小学校の二宮金次郎像は立木の中に隠れていた。台座には「報徳」。毎日登下校時に生徒が眺める事が出来る場所が理想的ですが、撤去してしまうよりはましかも。 正門から見ると、校舎を壊していた。震災の被害があったのだろうか? でも、裏側には新しい校舎が出来ていた。ちょうど給食の給仕をしているところで、みな…
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二宮金次郎を探して

小学校があると、必ず二宮金次郎像が有るかどうかチェックする(金次郎像が建っている学校の生徒は品行方正、学力優秀だと思っているから)のですが、薪を背負った金次郎じゃなくて、出世した二宮尊徳像が鎮座していた。 明治8年8月鍋掛村日新館田中分校として創立した田中小学校の校門脇にある二宮尊徳翁像。上下に威儀を正して正座している。常磐金…
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二宮金次郎NO.32

明治7年に武茂小学舎として創立された馬頭小学校の二宮金次郎です。この地はペリーの黒船が現われ、世情がだんだん不穏になってきた頃創られた馬頭郷校文武館(水戸弘道館の分校?)の跡地にあります。この頃すごかった事はこの郷校には一般農民も通う事が出来た(但し、相当頭がいいと認められた子供)事であり、やがて、明治政府の構成員として活躍した人た…
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二宮金次郎No.30、31

足利市立西小学校跡に残る二宮金次郎です。台座には「勤倹力行」と書かれている。西小学校は明治15年創立の伝統校だったのですが、平成13年に閉校し、分割統合されてしまった。 西小学校を吸収して平成12年に開校した足利市立けやき小学校にも行ってみたら、平成の小学校には珍しく二宮金次郎が居た。横断歩道橋から撮ったので、後ろ向きとなってしま…
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二宮金次郎No.29

真岡市立東沼小学校の二宮金次郎です。通りすがりに見かけたので、パチリ。この辺は二宮陣屋跡も近いので、二宮金次郎のメッカと言えるかもしれない。一般的に新しい学校に新しい金次郎像を建てる学校は少ない(父母会等から戦前の遺物とクレームが出る事を教育委員会が恐れるからか?)けど、この金次郎像は相当新しいし、ポーズも古い象とは違っている。ここ…
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二宮金次郎No.28

ここにも二宮金次郎像が!!宇都宮餃子館東口駅前イベント広場店に立っていた。ちょっとふくよかな感じですネ。 二宮金次郎の「報徳訓」は日本人の精神ですネ。 「天地の和して一輪福寿草、咲くやこの花幾世経るとも」 (福寿草だって、太陽の光や、雨や空気や、大地の養分などの要素が揃ってこそ、花が咲くのですヨ。人間だって同様に暮らしてゆくた…
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二宮金次郎No.27

宇都宮市立中央小学校の二宮金次郎像です。 明治20年9月河内郡第一高等小学校として開校。 二宮金次郎の一生栄光出版社三戸岡 道夫ユーザレビュー:日本人ってすばらしい ...いろいろ考えさせる伝 ...Amazonアソシエイト by
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二宮金次郎No.26

那須町立室野井小学校の二宮金次郎です。正面には「至誠報徳」、横には「皇紀二千六百年記念、室野井小学校結社一同」のプレートが付いている。皇紀2600年は西暦1940年なので、昭和15年に建立されたものですネ。 室野井小学校は、明治8年6月18日に室野井の十方院を借用して、那須郡第14番学区室野井小学校として開校した伝統校です。
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二宮金次郎NO.25

尊徳は安政3年(1856)日光神領の復興中に今市で亡くなり、今市の如来寺に葬られましたが、門人の横山平太(桜町陣屋代官)が遺髪を娘のフミが眠る蓮城院に埋葬した。 墓石の脇に二宮金次郎像が建っていたが、これは随分ふくよかな顔立ちだネ。 二宮金次郎の一生栄光出版社三戸岡 道夫ユーザレビュー:日本人ってすばらしい ...いろいろ考え…
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桜町陣屋跡

二宮尊徳が37歳から62歳まで暮らした桜町陣屋。一家が引っ越して来た文政6年(1823)に新築した建物です。回りを土塁で囲まれ、その中に多くの建物があったようですが、現在はこの建物しか有りません。国指定史跡です。 尊徳の居宅といっても、役所ですから、尊徳の家族は6畳の板の間に住み、尊徳は次之間で執務と寝泊まりをし、上段之間は殿様が…
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二宮金次郎NO.24

旧二宮町の二宮尊徳資料館に行く。入口の銅像は金次郎じゃなくて尊徳だった。生涯農村の生活向上に尽くしたのですが、年貢の石高が上がるので、藩主、幕府からも評価されたのです。上司の顔色ばかりうかがって自分の昇進を求める輩とは違うのですが、無能な上司が赴任してきて苦労も多かった。今どきのサラリーマン社会と違う所は、金次郎には、かなり骨太の信…
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NO.8旧穴沢小学校跡再び登場

旧穴沢小学校跡の二宮金次郎像(NO.8)再び登場。このシチュエーションが一番好きなので、再度撮影する。 穴沢小学校は明治6年4月に百村光徳寺内に「又新学舎」として創立。昭和48年に統合移転した。
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二宮金次郎No.23

雲厳寺の帰り途、「須賀川小学校」の看板が目に入り、急停車!!あの「那須少年記」のロケ地かァ。と思ったが、残念ながら、移転した新校舎の方だった。
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二宮金次郎NO.22

二宮金次郎像NO.22を旧小口小学校跡(現在、「もうひとつの美術館」となっている)でゲット!!台座には「以徳報徳」と書かれている。 小口小学校は明治10年5月に明新学校と称して創立。平成13年に小口小学校と小砂小学校が統合し、馬頭西小学校となり移転、廃校となる。残っている校舎は築110年で、栃木県最古の木造校舎だそうです。 …
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二宮金次郎No.21

塩原小学校は何度か、外から探した(入れないので)のですが見つからなかった。観光協会の大塚さんに連れて行ってもらい、職員の方に挨拶して、構内へ入れさせてもらった。有りました!!台座には「報徳」「皇紀二千六百年」とある。皇紀2600年とは神武天皇が即位した紀元前660年を皇紀元年として、昭和15年(1940)が皇紀2600年だった訳です…
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二宮金次郎No.20

二宮町立長沼北小学校(現在は真岡市立)の二宮金次郎像です。二宮尊徳所縁の旧二宮町ですから、正統派の二宮金次郎像かと・・・・・? 新しい大理石の台座は立派なのですが、刻まれた文字は「報徳」のみ、前段の「至誠」がなければ、二宮尊徳の思想は伝わらないと思うのですが。 私利私欲に走らず社会に貢献(至誠=勤労)すれば、いずれ自らに還元(報…
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二宮金次郎像NO.19

那須塩原市立東小学校の二宮金次郎です。東小学校は明治26年に西那須野尋常小学校として創立され117年の伝統があります。二宮金次郎像の台座にも「至誠報徳」が彫られていて素晴らしいのですが、何故赤色の塗料が付いているのでしょうか?
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大島小学校の金次郎

那須町立大島小学校にも二宮金次郎像がありました。 「報徳訓」 父母の根元は天地の令命にあり 身体の根元は父母の生育にあり 子孫の相続は夫婦の丹精にあり 父母の富貴は祖先の勤功にあり 吾身の富貴は父母の積善にあり 子孫の富貴は自己の勤労にあり 身命の長養は衣食住の三つにあり 衣食住の三つは田畑山林にあり 田畑山林は…
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湯津上小の二宮金次郎

明治7年創立の湯津上小学校に二宮金次郎が建っていましたので、職員の方に断って、撮影しました。台座にちゃんと「至誠報徳」と刻まれていてよかった。至誠とは勤労を表し、報徳とは経済の事です。社会への貢献を第一義に行う事は、私利私欲から開放され、真の豊かさを実現できる。という教えなんですが、なぜ戦後消えてしまったのでしょうか? 不祥事企業…
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那須小学校の金次郎

那須小学校で二宮金次郎像を見つけた。二宮金次郎が有るだけで、この小学校の生徒はスクスク育っている事だろうと思ってしまう。台座には「至誠報徳」の文字。この言葉、移転する時に台座の文字を意味が判らないと、「はばたけ」なんて文字に変えてしまう学校もあるが、「至誠報徳」の深い意味に感動を覚えて欲しいものです。 いい顔立ちをしてますネ。…
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金色金次郎

東京の八重洲ブックセンターにある「二宮金次郎」です。かってはどこの小学校にもあったけど、戦中の銅像は金属供出で、戦後は、「金次郎が薪を背負って勉強した史実が無い」といらぬお節介を言う人や、「子供がマネをしたら交通事故を起こす」と言う人たちがいて、だんだん無くなった。そして日本人の心から「道徳」が消えたのです。     報徳訓 父…
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鍋掛小の二宮金次郎

明治6年開校の鍋掛小学校は前身が黒羽藩の日新館です。元は奥州道中(陸羽街道)の近くにあったのですが、だんだん生活の中心が国道4号線沿いにかわり、小学校は移転、中学校は日新中に合併されました。元の敷地はコミニティーセンターとなり、お年寄り(かって、この校庭で遊んだ鍋掛小のOBたち)がグランドゴルフをやっていた。(このごろはどこでも、ゲ…
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宇田川小の二宮金次郎

大田原市立宇田川小学校の二宮金次郎像です。チョット汚れていますネ。台座の「至誠報徳」の文字もかすれて良く読めません。
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佐久山小の二宮金次郎

またまた、二宮金次郎像です。小学校の脇を通るとついつい、あるかどうか覗いてしまいます。佐久山陣屋跡地にある佐久山小学校にも校門近くに建っていました。脇に創立百周年の記念碑がありましたので、きっと、明治5年の学制発布後、即出来た学校なのでしょう。金次郎像は戦時中、国策?として、全国の小学校に銅像が建てられましたが、日本の物資不足により…
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黒田原小の二宮金次郎

那須町立黒田原小学校の二宮金次郎像です。台座に「報徳」の文字がありました。この「至誠報徳」は二宮尊徳が農業の実践から得た思想(行動規範?)です。経済と道徳の融合(現代社会では矛盾すると考える人が多いが)という考え方です。私利私欲に走らず、誠意をもって、社会に貢献すれば、必ず自分にも還元されるという事です。尊徳は栃木県の出身ではありません…
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