歴史解説員養成講座7

2008年9月20日(土)台風一過で晴れ。
第16回企画展「那須の渡来文化」オープニングイベント。
記念講演「那須の国と渡来文化ーそして今日と明日ー」
作家 松本富生先生
松本先生は韓国慶尚南道出身で5歳の時渡日、35歳で帰化。主な作品は「流浪の果てに」「野薔薇の道」「風の通る道」等。現在季刊誌「しもつけの心」に「那須国物語」をライフワークとして連載中。

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3世紀から6世紀頃、朝鮮半島には高句麗、百済、新羅の他に金官加羅国(キンカンカラクニ)があり、そこには任那(ミマナ)日本府が置かれ倭国(ヤマト王権)が治めていた。
朝鮮三国志の時代、高句麗・唐連合軍と百済・倭国連合軍の決戦、白村江の戦いで百済・倭国軍は敗れ、倭国は亡命を希望する多くの百済貴族を受け入れた。その後、高句麗も唐に支配され、高句麗人も倭国に来た。新羅は唐の侵略に反発し、倭国と友好関係を結び唐に対抗したので、新羅人も来るようになった。
日本書紀には「帰化人に対し、10年間は税免除が適用される」と記されており、朝鮮半島からの渡来人を優遇し、役人への登用をしたり、大陸の文化、技術の吸収をした。
百済帰化人として有名なのは、山上憶良(ヤマノウエノオクラ)です。万葉集に数多くの歌が残っていますが、朝廷歌人の優雅な歌風では無く、子供や家族、貧困、庶民を詠った歌が多い。
憶良は4歳の時、倭国にやってきて41歳までは不遇であったが、42歳の時、遣唐使の下級官吏に抜擢され、帰国後50歳を過ぎてから従五位下に叙された。74歳で世を去る。
松本先生はこの山上憶良が自分の人生に重なると言ってました。
山上憶良の歌
「銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむに勝れる宝子に及(し)かめやも」
チョウピン訳:お金を貯めて何になる、子に勝る宝はないではないか。
辞世の歌
「士(をのこ)やも空しかるべき万代に語り継ぐべき名は立てずして」
チョウピン訳:男は金や身分が無くてもいいが、後世に語り継がれる功名を挙げずして死ねようか。
国宝「那須国造碑」は儒教思想に基づく文学碑と言える。とくに結びの文字には渡来人としての思いが溢れていて感動する。
翼無くて長へに飛り、根なくて更に固まる。
先生の言葉を訳せば:遠い故郷へ帰る事は出来ないけれども、心の中では自由に飛んで行ける。新天地では根無し草のようですが、己の徳を伸ばして行けば、やがて磐石となる。
那須の地名はアイヌ語だと言われていますが、これはハングルの那(美しい異民族)須(あごひげ)から来ている。白ひげ神社は渡来人を祀ったものです。奈良とはハングルで国を意味します。那須にも奈良川がある。
那須地方の人はB型血液の比率が多く、大陸に似ている。
何故、那須に多くの渡来人が来たか?
渡来人の貴族は朝廷に仕えていましたが、技術者等は地方に移住した。那須では産金(奈良の大仏建立に大量の金を必要とした)や瓦(古墳から仏教伽藍建造へ移った)作りの技術を伝えた。
那須の芦野には唐木田の地名と渡来人の子孫室越氏(もろこしし)の名が残っている。
・・・・・等々、いろいろ興味ある話が聞けました。上記の内容は先生の話とチョウピンの思い込みがゴチャゴチャになってます。
講演終了後、韓国の伝統食の野外パーティーがあった。
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これはチヂミ(韓国ではジョン)ですネ。
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白雲山の岩盤水で作った?米マッコリもあったが、残念ながら車で来たので、飲む事は出来ません!!
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風の通る道 (いちご新書)
下野新聞社
松本 富生

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