那須国造碑

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那須国造碑(なすのくにのみやつこのひ)
中国では永晶元年(689)、那須の国造で追大壱である那須の値韋提(イデ)は評督(郡長官)に任命されました。庚子(700)の正月2日の辰(8時)に亡くなりました。跡継ぎの意斯麻呂(オシマロ)が遺徳を碑銘に記しました。故人は那須の頭領で朝廷の重鎮、朝廷より、追大壱の冠位を賜り、評督(こおりのかみ)職に任命され、2度の栄誉をうけました。「粉骨砕身、国につくす」が故人の言葉です。ですから、一門に奢りたかぶる者は1人もいません。孝行な息子は親の教えを3年守るといいます。私も父の治水・治民・忠・徳を肝に銘じ、己が徳をのばし、下民への治績をあげます。ここに、結びの言葉を記します。鳥ではない人間に翼はありませんが、故人の徳はどこまでも飛翔するでしょう。木でない人間に根はありませんが、故人の余情・名望がどこまでも磐石になるでしょう。
この那須国造碑は笠石神社のご神体として祀られています。なす風土記の丘資料館にレプリカがあり、見る事ができます。
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直(あたい):5,6世紀に天皇に服従した国造に統一的に与えられた姓で世襲
国造:初期には地方の豪族に国造の権限をあたえましたが、次第に行政から外れ世襲の名誉職となった。
追大壱:天武天皇が制定した冠位48階の第33番目の位
評督:朝廷が任命する郡長官
PS.韋提(イデ)や意斯(オシ)は新羅からの移住者ではなかったのでは?

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