大関籐十郎の通勤
幕末の黒羽藩主 大関籐十郎(増裕)は神田明神下通り(外神田3丁目ー6)に住んでいました。6軒隣りには芦野采女之助がいました。家は妻恋坂の角にありました。大名ですから、藩邸というのでしょうか?当然ですが、現在はマンションになってます。
神田明神下辺りで、芦野采女之助に出会う事もあったかもしれません。
昌平橋を渡り、
淡路町交差点を右折(当時は直進の道は無かったので道なりに右へ行った)
小川町交差点を左折し、本郷通りを進みます。
この辺では、もうお城がドーンと見えていた事でしょう。
神田橋を渡り
酒井雅楽頭(さかいうたのかみ)の藩邸に「将門の首塚」はありました。
酒井邸の角を右に曲がると大手門がみえます。
家を出て、30分で出社となります。でも大名だから、かごでいったのでしょうネ。
神田明神下辺りで、芦野采女之助に出会う事もあったかもしれません。
昌平橋を渡り、
淡路町交差点を右折(当時は直進の道は無かったので道なりに右へ行った)
小川町交差点を左折し、本郷通りを進みます。
この辺では、もうお城がドーンと見えていた事でしょう。
神田橋を渡り
酒井雅楽頭(さかいうたのかみ)の藩邸に「将門の首塚」はありました。
酒井邸の角を右に曲がると大手門がみえます。
家を出て、30分で出社となります。でも大名だから、かごでいったのでしょうネ。









この記事へのコメント
すごい!!!
感激しましたぁ
ここ結構築地の帰りに
通るんですよ
感激(>_<)
太田原飛騨守?(紋が丸に釘抜になってますので間違い無いと思います)の上屋敷は麻布台3丁目、下屋敷は白金5丁目にありました!今度見てきます。